1) 新空港調査の始まり
<新空港調査に至るまでの経過>
・1951年3月 大阪国際空港にわが国企業の国内線就航
・1958年3月 大阪国際空港が米軍から全面返還3,000m滑走路の整備計画
・1962年 ワイズマン報告:阪神都市圏における新空港計画を指摘
・1964年6月 ジェット機が乗り入れ開始、騒音問題が発生する。
・1965年代 神戸商工会議所が2つの構想を発表
※淡路島北部案:騒音公害は少ないが、視界、気流、大阪・京都からの距離等、批判が出る
※ポートアイランド沖案:浮体工法、海上に求めた第1号
・1966年5月 神戸市表明「淡路島北部にSST(超音速機)用の国際空港をつくりたい」
・1966年7月 兵庫県が「淡路国際空港対策連絡会議」を設置、関西新国際空港と命名
2) 運輸省による新空港の調査
運輸省は、兵庫県、神戸市、大阪国際空港周辺からの要望にこたえ、1968年度から新空港調査を開始した。また、1971年9月、「関西国際空港計画に関する調査概要」を公表。その検討項目は、
[1] 関西地区の航空輸送需要見通し
[2] 新空港の必要性と採算性
[3] 新空港の建設設置
[4] 新空港の建設管理主体
[5] 立地した地元への影響
などである。
この調査では、泉南沖、岸和田沖、西宮沖、六甲沖、ポートアイランド沖、明石沖、淡路島北部、阪和県境の海上6ヶ所、陸上2ヶ所を候補地としていた。
3) 航空審議会1次答申(1974年8月)
<審議会の設置と審議方針>
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